Shorea robusta / サラジュ(沙羅樹)
科名属名学名  フタバガキ科ショレア属Shorea robusta
タイ名 ต้นสาละ(トン・サーラ)、สาละอินเดีย(サーラ・インディア)、ต้นลูกปืนใหญ่(トン・ルーク・プーンヤイ) 
その他名称  英名Sal tree  梵語名Sal,sala  
 原産地 インド(北部,デカン高原)ネパールに分布。           タイには若干の植栽。 
用途  木材。 仏典の植物として植樹。 
     
 葉      枝の様子
   
 バンコク 大理石寺院にて撮影  幹 同寺院のサーラの名表板

 
        (翻訳)
サーラ Shorea robusta フタバガキ科
サーラはインドではSalと称され、ブッダの生誕 及び入滅関する樹である。
生誕はルンピニ公園の木陰にて、そしてクシナガラ近辺の1対の樹下に行かれ入滅された。
 シリキット植物園で育苗中の幼木 フアイケーオ樹木公園の立札    右立札の記載事項の翻訳(一部簡略
(追加画像)
チェマイのサラジュの植樹 下記の2本は2012年に撮影した。チェンマイで初の本格的植樹と思われる。
*開花するかどうかは不明だが、いよいよ挑戦である。開花を期待したい。
 シリキット植物園に植樹のサラジュ  花博公園インド庭園に植樹のサラジュ。
   
サラジュは通常は蒔種後10年余で開花する。熱帯季節風林のフタバガキ科の植物の開花は比較的早い。
恐らく3~4年成長後の植栽のようなので、6~7年後には開花する可能性があると思われる。 

樹形等 樹高30~35m半落葉樹。樹冠不規則。幹に深縦裂。 葉:単葉,互生。10~25cm広卵状心臓形。
花・果実 花:白黄色,花弁星型。円錐花序。 
       果実:乾果(翼果)蕚が発達し果実を包む。萼は3枚長く2枚短い。 果実は乾果。球形。種子1個。
花期  タイでの開花は不明。
 
 タイ名 タイ名สาละ(サーラ)は本種の梵語名salの音訳名である。
タイでは,ホウガンボク(Couroupita guianensis)がサラジュ(Shorea robusta)の代用として植樹されている。ホウガンボクのタイ名もสาละ(サーラ)又はสาละลังกา(サーラ・ランカー←スリランカからのサーラ)であり、植物学的にはต้นลูกปืนใหญ่(トン・ルーク・プーンヤイ)(砲丸の木の意)である。  サーラ・ランカ(Couroupita guianensis)に対してはサラジュ(Shorea robusta)はสาละอินเดีย(サーラ・インディア)と称される。

タイトル和名 漢訳仏典の漢音読みに従いサラジュ(沙羅樹)とした。娑羅樹とも綴り、単に沙羅とも言う、。
 
雑感 サラジュはタイで見かけることは極めて少ない。掲載画像のバンコク大理石寺院のサラジュ(Shorea robsta)は,タイではよく知られた植樹であるが,残念ながら長年に渡り開花していない。タイの気候は暑すぎて開花しないのである。成長も大木まで至らなかった。
大理石寺院の他にも数か所の寺院にも植樹されたがいずれも開花しなかったため、、スリランカの僧よりり、サーラ・ランカ―(=砲丸木)がタイに伝えられ、サラジュの代用とされている。

最近は植樹意欲も高まりサラジュの植樹は見られるが、私はタイでの開花は未だに見たことが無い。 

サラジュ((Shorea robsta))のタイでの探索 
私はタイでは比較的涼しい北タイのどこかにサラジュが開花しているのではと探し求めたが、残念ながら未だ開花したサラジュに遭遇していない。以下、多少知り得た情報を記しておきます。
 シリキット植物園を訪問する際に乗ったソンテオ(小型バス)で,サムーン(同植物園のかなり先の山奥で標高は高く涼しい田舎町)の寺院のご住職と隣り併せになり,トンサーラのある場所を御存じか訊ねてみた。何と,ご住職は2年前にチェンマイのカムティエン植物市場で50cmほどのサラジュの苗を500B(1500円)で購入し育てておられた。牛糞を施し毎日水を遣っているが育ちが遅く,まだ3mくらいにしかならないとのこと。私は育ちは遅くはないと思うのだが,,。順調に育てばサラジュは10年程で開花するから,数年後にはご住職の境内に開花する可能性はあると思われる。*2009年の話しです。
 
 
仏典の植物 
 南伝仏典では主として「シッタルダの生誕及びブッダ入滅の際の植物」として伝えられ,北伝仏典では,主として「ブッダの入滅の際の植物」として伝えられている
 ・シッタルダ生誕の際の植物  サラジュ(Shorea robusta)は南伝仏典ではシッタルダ生誕の際の植物でもある。北伝仏典の無憂樹と場面的な説明は同じである。
*掲載画像のサラジュの立て札にはシッタルダの生誕の場面が描かれて、説明版には入滅の際の植物であるとの説明もあるる。
 ・ブッダ入滅の際の植物  南伝仏典では入滅に際に「一対のサーラ(ต้นสาละ คู่)の間に横になられ,入滅されるや時ならぬ白い花が開花し天から降り注いだ」と伝えられている。北伝仏典でも,ほぼ同様の伝えであるが,仏典によりサラジュの対数等は多少の相違がある。

なお仏典には生誕,入滅以外の場面では,ブッダやその弟子が各地の沙羅林(バッダ沙羅林,ゴ―シンガ沙羅林,ローイッチャ沙羅林など)に滞在やその他の伝えが多くある。
 漢訳仏典 沙羅樹 漢訳仏典名の沙羅樹は梵語名salの音訳名であり漢音読みサラジュ読む。沙羅双樹の名称はブッダが入滅の際に,沙羅樹が双(=対)の間に横になられたので,沙羅(樹)の双樹として沙羅双樹(複数形)と漢訳されたものである。
沙羅双樹を植物名とするのは植物学的には無理があると思われる。植物名は沙羅樹とすべきと思われる。
 
参考 シッタルダの生誕及び入滅に係わる植物種について
出典により様々であるが、Wikipedia, the free encyclopediaの情報が最も客観的と思われるのでSaraca asoca とShorea robustaを検索対比した。
Saraca aoscaのページにはシッタルダ生誕の絵画画像が掲載があり(説明文はない)、またShorea robustaのページには、生誕と同一の絵画画像が掲載され、生誕及び入滅に係わる説明がなされている。併せて両樹は古代インドでは混同が多かったことも説明されている。
また、絵画画像を拡大すると、マーヤ夫人が手をされている樹は白色と赤色が見られ、どちらとも言えない、なかなかに好く出来た絵画画像だなあと思われる。

中国語版Winkipedia維基百科では娑羅樹(Shorea robusta)は、釋迦牟尼の生誕 及び入滅に係わる植物として説明。また、同百科は忧树(Saraca asoca)に関しては、釋迦牟尼の生誕に係わる植物と説明している。

仏教の3霊樹について
仏典の中の樹木(満久嵩麿典)に「(仏教)3霊樹や5木という名は後年インド以外の国,おそらく日本あたりでつけたものではないかと思われる」との記載のとおり、仏教の3霊樹は仏教典にはない我が国の用語である。

我が国で云う仏典の3霊樹というのは、仏典の植物名では 1無憂樹 2菩提樹 3.沙羅樹を指しているが、Globalには上述のとおりの生誕に関しては沙羅樹ともあるので、仏教の3霊樹という用語を使われる際には、適正な表現をされることをお薦めします。また、植物の名称につきましても仏典に記載の植物名を用いられますようお薦めします。
*ムユジュ(Saraca indica)でも同様の説明をしております。 
 
 (和名 )さらのき、しゃらのきについて
牧野日本植物図鑑(1940.牧野富太郎)によると、なつつばき 一名しゃらのき (Stewartia pseudocamellia) の説明の最後に、「娑羅樹は印度の該樹と誤認せしに基ずく」との記載がある。この娑羅樹はナツツバキの一名しゃらのきを指し、従って読み方はさらのき、又はしゃらのき)であり、、印度の該樹とは沙羅樹(Shorea robusta)のことである。*解釈は「新牧野日本植物図鑑(2008年)」を参考にした。

日本では沙羅樹(サラジュ)の誤認として沙羅樹(しゃらのき、さらのき)(Stewartia pseudocamellia)が植樹されてきたのであり、従って、平安時代や鎌倉時代には、沙羅樹(サラジュ)=Shorea robusta)は、シャラノキStewartia pseudocamellia)として広く知られていた(歴史的事実である)。従って、沙羅樹(しゃらのき、さらのき)は本来的にはStewartia pseudocamelliaを意味している。

なお、娑羅樹(シャラノキ)、沙羅双樹は、江戸時代末期もこの名前で各地の寺院には広く植樹されており、国学者もこの名称を使っていて、夏椿の名称は見当たらないナツツバキは明治以降に付された和名と思われる。*ブッダ入滅に係わる樹種が沙羅樹(サラジュ)=Shorea robusta)と判明してからの新名称ではないかな???。
 
 
蛇足1 平家物語の冒頭に詠まれる「沙羅双樹」の植物種名について
平家物語は古典文学であるから,古典文学解釈(古文解釈)に準拠して解釈されるべきだと思われる。

平家物語が作成・語られた時代(鎌倉時代)には,仏典記載の沙羅(双)樹はその当時は沙羅樹(しゃらのき、さらのき)=現在名ナツツバキが該樹として広く認識されていたのは歴史的事実である。沙羅樹(サラジュ)がフタバガキ科のShorea robstaと判ったのは、明治以降に知りえた歴史的事実であるから、作者は知るよしもなかったはずである。
古典文学の解釈の基本的スタンスは、その当時の状況及び作者の認識に立脚して解釈されるべきと思われるので、沙羅樹(しゃらのき、さらのき)=(ナツツバキ)が誤認であれ、沙羅(双)樹と認識されていたのである。

書店に立ち寄って受験用の平家物語解釈なる参考書を数冊立ち読みした。何と沙羅双樹(Shorea robsta)との(新)解釈が何冊かあった。私の大学受験時にはナツツバキ=沙羅の木シャラノキ(Stewartia pseudocamellia)が通説だったと記憶している。再度「古典文学の解釈の基本的スタンス」を含めて検討したいと思っている。
 
蛇足2追記 平家物語の冒頭に詠まれる「沙羅双樹」の植物種名について 
上述の蛇足の延長です。最近、再度書店に立ち寄り平家物語解釈なる参考書を、数冊立ち読みした。前回に立ち読みしたときとは、説明内容が変化しているように感じた。以下に再検討の次第を記した。

平家物語の冒頭に詠まれ、歴史的事実として疑問が持たれるのは2か所ある。

その1 祇園精舎の鐘、、祇園精舎をインドの祇園精舎と解すると、古代インドには鐘が存在しなかったので、祇園精舎にも鐘が無かったという歴史的事実が判明し、既に広く知られている。それでは、どうして祇園精舎の鐘は声(音)は響いたのかいう疑問が残る。*ご存じない方は祇園精舎に鐘は無かった等でNet検索されたい。

私が平家物語解釈を読んだ数冊によると、祇園精舎の無常堂の四隅に鐘があり、、(中略)、、鐘は鳴った」ということを涅槃経からの引用で説明されている。当時は祇園精舎の鐘は鳴ったということは、「往生要集」(青蓮院本)(平安時代中期ー恵信僧都源信)に「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽、 祇園寺無常寺の四隅に頗梨(はり)の鐘ありて、、と同様の解釈が記載されている。
即ち、祇園精舎に鐘は実在しなくても、当時は実在して鐘の声が響いたとするに足りる作者の認識があったという解釈である

*以前に立ち読みしたとき時には、単に、「無常堂の四隅に鐘があったという」との説明だけが多かったように記憶している。近年、祇園精舎には鐘が無いことが広く知られたことに対処されたのかなと思われる。かなり詳細な説明である。

その2 沙羅双樹の花の色 この沙羅(双)樹の樹種は何であるのかという疑問である。
平家物語作成当時は沙羅(双)樹は(仮称)ナツツバキ(Stewartia pseudocamellia)であると広く認識されていたという歴史的状況がある。沙羅(双)樹がShorea robustaという樹種であると判明したは明治以降のことである。従って、作者は沙羅(双)をShorea robustaとは知る由もなく、ナツツバキと認識していたと解釈するしかない。

最近、私が平家物語解釈を読んだ数冊によると、
沙羅双樹とは2本(又は一対)の沙羅樹であるとの説明が多くなされている。中には2本(又は一対)の沙羅の木との説明もあり、沙羅双樹(Shorea robusta)を植物名と説明するのは1冊しかなかった。??
私の感じるところ、沙羅双樹の説明は仏典(大般涅槃経かと思われる)に準拠・引用しての説明になったと思われる。これは仏典に記載の通りであり、この説明は理に敵っている。鶴林伝説も仏典に記載があり問題はない。
なお、仏典に準拠して説明されるなら、仏典に記載のない用語での説明は避けるべきである。平家物語の作者は仏典に記載のことは知り得ていても、記載のないことは知り得ていないからである。
仏典にない用語とは、、沙羅の木Shorea robustaSal,、沙羅樹のふり仮名「さらのき」、、等である。これらの用語は、仏典に記載なくしかも作者の知りえない特定の樹種を意味する。

私が平家物語の沙羅(双)樹は、ナツツバキであるとするのは、当時の時代的認識として沙羅樹(しゃらのき、さらのき)は現代名ナツツバキが沙羅樹として広く信じられていたので、祇園精舎の鐘が鳴ったのは当時の認識であるとするのなら、同じ論拠で、沙羅双樹の樹種は当時の認識でナツツバキであると解釈を一貫すべきであると考えるからです。

先ずは、平家物語解釈における冒頭の句は、仏典に準拠しての説明に変更すべきと思います。こうすれば沙羅(双)樹は(Stewartia pseudocamellia)とも(Shorea robusta)どちらにも解釈可能な対応であり,、現時点では最も
妥当な説明と思います。

なお、平家物語解釈ではこの点に触れる意義は少ない。この冒頭の祇園精舎の鐘の声も、沙羅双樹の花の色も、実に見事な対句法として、諸行無常、盛者必衰にかかる枕詞である。枕詞をあれこれ詮索しても平家物語の主題には対して影響は殆ど無い。所詮は沙羅樹の樹種の推定など余り意味のないことである。
平家物語解釈にかんしては、読んだものがどちらにも解釈出来るよう、仏典に準拠して説明しておくのが望ましい思います。

なお、官公立植物園の本樹に関する名表札と樹木説明に関しては如何にあるべきかは重要な問題である。

*私見ですが、官公立の植物園に植栽の沙羅樹(Shorea robasta)を、平家物語の沙羅双樹はこの樹のことであリ、ナツツバキは間違いであるいう説明は、現時点では沙羅双樹の解釈には二通りの解釈が現に存在し、NET上にも両説が説かれている以上は避けられることお薦めします。また沙羅双樹の名表札も、平家物語解釈でも沙羅双樹は2本(又は一対の沙羅樹との説明が多いことも勘案し、植物学的には沙羅樹(サラジュ)と記載されることをお薦めします。
*私見ですが、Net上でナツツバキを沙羅双樹と間違えて寺院に植樹されているとの記載が散見されますが、だからこそ、平家物語の作者もナツツバキを沙羅双樹だと誤認していたと追記されますことをお薦めします。

*私の大学受験時にはナツツバキ=沙羅の木シャラノキ(Stewartia pseudocamellia)が通説だったと記憶している。50年程前柄のことであるが当時の参考書を何とか探し出し、当時の沙羅双樹に関する樹種の解釈を確認したいたいと思っている。

当ページの記載事項は2014年11月に、一部修正並びに記載事項追加をしました。

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